Battle of Imphal

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敵対する両軍

インパール・コヒマ道のカングラトンビ近くのカングラトンビ戦没者記念碑。ランジート・モイランテムによる写真 インパール・コヒマ道のカングラトンビ近くのカングラトンビ戦没者記念碑。ランジート・モイランテムによる写真

インパールの戦いに動員された英国軍は12万以上で、これにはグルカ兵・インド軍・英国軍が混成して含まれていた。全軍は、インパールを拠点に、はじめは第17・第20・第23のインド歩兵団を中心とし、のちに英国軍第14軍第4軍団、第50インド軍パラシュート部隊、第254インド軍戦車部隊が加わる編成となっていった。第4軍団司令官はジェフリー・スクーンズ中尉であった。

のちに、インパール前線にはインド軍第5師団の2旅団、第7師団の1師団がビルマのアラカン州(現在のミャンマー、ラカイン州)から、それぞれ1944年3月と5月に参加した。

マニプルの正規軍とは別に、インパールの東、東北そして西、南西の山々に、「V」部隊を配備した。これはインド-ビルマ国境付近に沿って日本軍の活動を諜報することであった。

マニプルの日本軍には2つの師団-第15軍第15師団・第33師団の7万人がいた。第31師団の2万人がコヒマに向かって侵攻し、その中のいくつかはウクルルを経由して向かった。第15軍の司令官は牟田口廉也であった。

7千人を越えるインド国民軍第1師団もインパール作戦に参加した。これにはガンジー旅団やアザド旅団、サバッシュ旅団の一部も含まれ、インド国民軍の特別部隊も日本軍に加わった。