Battle of Imphal

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名所

ポイント5846あるいはライマトン・ピークを越えたシルチャル-ビシェンプル行路あるいはオールド・カチャール道。インパール作戦中にこの区域における第20インド師団第32旅団と対決した日本軍第33師団。ランジート・モイランテムによる写真 ポイント5846あるいはライマトン・ピークを越えたシルチャル-ビシェンプル行路あるいはオールド・カチャール道。インパール作戦中にこの区域における第20インド師団第32旅団と対決した日本軍第33師団。ランジート・モイランテムによる写真

“・・・ほんの一時、マニプルは世界の舞台の中心地、「アジアのスターリングラード」であった。- Thant Myint U, Where China Meets India

今日のマニプルには、文字通り、第二次世界大戦の経験に関連する場所が散在している。飛行機でインパールに行く場合、ツリカル空港の着陸滑走路が、戦争中最初に作られた滑走路である。ジマプル/コヒマから、またはミャンマーのタムから地上でマニプルに行く場合、移動に使用する道路が戦時中に初めてターマックに変えられた道路である。

マニプル周辺には、いくつかの記念物、墓地、滑走路の跡、そして中でも1つの博物館が存在し、それらのすべては第二次世界大戦に関係している。もちろん、これらは公的な戦争史跡に過ぎない。マニプル全体に、インパール作戦時の燃料庫および塹壕など、逸話に富んだ残存物がまだ沢山存在する。

最後に、1944年に最も激しいいくつかの戦いが起きた村と山頂、そして山脈が存在する。これらには、シャンシャク、ニントウコンとトルブン、そしてヌンシグム、スクラギ、ポイント5846のような山頂が含まれる。幸運にも、マニプルの場合、衝突と戦いが起こったところの自然の特徴の多くは、今日も変わっていないので、ほぼ70年前の劇的事件を思い浮かべることができる。